【社長ブログ】奥州紀行

10月19日、岩手・盛岡シティマラソンに参加しました。
せっかくなので、奥さんが以前から行きたがっていた平泉を前の日に訪れてから、マラソンに臨むことにしました。

10月17日に一関に宿泊し、翌日、平泉を目指しました。
私は前の会社で海藻の輸入をしており、気仙沼にお得意先があり、よく訪問しました。
気仙沼は日本の代表的な漁港を擁しており、食べるものみな美味しいです。
マグロ、カツオ、さらにはふかひれなど。そこからわずかな距離の一関。

ホテルの近くの居酒屋さんにふらっと入ったのですが、やはり期待たがわぬ美味しさ。


日本酒が進みます。テレビがおかれていて、プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズ・ファイナルステージで阪神が横浜を降し、セ・リーグ制覇を決めた様子が映し出されていました。
横浜の大フアンの私としては、若干興ざめさせるものがありましたが、それ以外は完璧な夜。
「陸奥といえばやっぱり燗酒」と勝手に決め込み、満足のうちに夜が更けていきました。
大丈夫か明後日のレース?

翌日は、平泉。一関から電車ですぐ着きます。
まだ8時です。レンタサイクルを借りて、いざ出発。いつもなら走ってもいいのですが、明日はレースなのでさすがに自重します。
中尊寺、金色堂も朝一ですので、お土産屋さんもようやく開け始めるかの時刻で、朝もやの中、
参道を歩きます。観光客もほとんどいません。


やはり早起きはなんとやら、昨晩 一関に泊まったメリット ありありでした。
藤原4代100年余りの興亡を感じます。
芭蕉は「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠みました。
私も一句と意気込みましたが、出てきませんで、漢詩にしました。

寺廟菊花

奧州獨訪憶興亡
人去唯存金色堂
秋菊路邊霜下立
花開猶帶舊時香

書き下し文(訓読調)
奥州(おうしゅう)に独り訪(と)いて 興亡を憶(おも)う。
人去(さ)りて 唯(ただ)金色堂(こんじきどう)の存(のこ)るのみ。
秋菊(しゅうきく) 路辺   霜下に立ち、
花開きて なお旧時の香(か)を帯ぶ。

⸻現代語訳(意訳)
奥州をひとり訪ね、かつての栄枯盛衰を思い返す。
人は去り、ただ金色堂だけが今も残っている。
道端の秋の菊は霜の下に立ち、
花が咲けば、今も昔のままの香りを放つ。

本当は奥さんと二人旅なのですが、詩の世界では“独り”でないと雰囲気が出ませんね(笑)。

中尊寺の後は、毛越寺。広い跡地、曲水の宴が開催されていたという、雅やかな雰囲気。


京都の文化を持ち込み、仏の教えを礎に、平和な世の中を築こうとした奥州藤原氏の意欲、
願いが静かに伝わってきます。
それから4-5キロ離れた 達窟谷(たっこくいわや)毘沙門堂。歴史を時間いさせる名所を訪れました。さすがは、自転車の機動力です、空気のよい 田舎の道を秋風を感じながら走ります。
このまま厳美渓まで、とも思いましたが、空が雨模様になってきたので駅に帰還。
平泉の名物でもある、わんこ蕎麦に舌鼓を打ちました。
後から後からつがれる盛岡の無限わんこと違い、24個くらいのおわんにそばを入れて提供される「割り出し式わんこ蕎麦」というらしいです。 


そういえば、最近問題になっている熊も、この地区でも出没しているらしく、電車が時折、思い切り警笛を鳴らし、熊との衝突を避けている感じでした。

 翌日は、いよいよ盛岡でマラソン。まあまあフラットなコースでした。
なんといっても気温が11-16度と絶好。ただ岩手山から吹き下ろす風が、難敵でしたが、うまく走り切り、3時間43分台でした。以前のように3時間30分はなかなか切れませんが、
歩かないでゴールできたのは嬉しいです。


 盛岡駅で、名物「白龍(パイロン)」のじゃじゃ麺を食べながら奥さんと生ビールで乾杯。
この瞬間があるので、42キロにチャレンジしてしまうのですよね。


周りの人が「ちーたんたん下さい」と言っているので、なんだろうとネットで検索すると、
卵スープのこと。「あ!!そうか!!鶏蛋湯(JI DAN TANG)のことか」と納得。


さすがに、旧満州で食べてきた炸醤麺を創業者が盛岡の人に合うようにアレンジしたじゃじゃ麺。
昔、大学時代の友人と本店に行ったときにメニューに、中国のコーリャン酒「白乾児(バイカル酒)」があったのを思い出しました。
少し懐かしい味わいです。
盛岡、また来たいな。今度は石川啄木ワールドを満喫しようかな。


日本酒文化を中国に広めている弊社のパートナー・華櫻貿易青島有限公司外口社長のブログはこちらからご覧ください!

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