【社長ブログ】大漢和辞典

11月9日、10日に父母の故郷である新潟に行ってきました。

今回は、叔母の白寿のお祝いを述べに長岡にあるケアハウスにおじゃまし、その後で三条市下田にある「漢学の里 諸橋徹次記念館」を訪れ漢詩大会の交流会、表彰式に出席しました。

諸橋徹次先生は、漢学の泰斗です。以下、諸橋徹次記念館のHPを引用させていただきます。

生涯を通じて、漢学研究に情熱を傾けた諸橋轍次博士は、明治16年6月4日、下

田村(現在の三条市)に生まれました。

東京高師卒業後、都内の大学教授を経て、戦後は都留文科大学学長に就任。この間50余年にわたり儒学を研究、『大漢和辞典』編纂という偉業を成し遂げました。 昭和40年には文化勲章を受章。昭和57年12月8日、100歳で亡くなるまでに遺した数々の著書や書跡等からは博士の慈愛に満ちた人柄が偲ばれます。文学を愛し、郷里をこよなく愛した博士は、今なお住民に深く敬慕されています。

そう、大漢和辞典。我々世代で中国文学を学んだ者は、この辞書の名前を聞くと様々な感情が湧いてくると思います。高かったけど、買って勉強したな、という人。高いので買わなかったけど、図書館で引きながら勉強した人。

私は、値段が高いのもさることながら(13巻で20万円はしたと思います。台湾に行き、海賊版を買う手もあったのですが。旅費をかけても安かったということです)、これを必要とするほど勉強をしていなかったというわけで、購入しませんでした。

図書館で大漢和を引いている友人を横目に角川の新字源くらいでお茶をにごし、バイト代が入れば、高田馬場で安酒を飲んで使ってしまっていました。

当然古典は、苦手。なんとか現代中国語、現代中国小説を学び、大学を卒業した次第です。

それから、水産商社で一貫として水産貿易の前線にたち、長く駐在生活を送ったおかげでようやく、中国語は話せるようになり、前非を悔いて、少し古典をかじるようになりました。

漢詩を20年位前からやりはじめたのも、その贖罪感からです。

数年前からこういう漢詩大会に投稿し、受賞者の末席を汚すようになりました。

漢詩は平仄、押韻等のルールがあり、中国語を学んだあとは、速いのですが(いい作品が書けるかは別問題です)、さもないと学び始めは、かなり辞書を引き引きやらねばなりません。今回の受賞者の皆さんは比較的年齢層は高いということもあるのでしょう。中国語がおできになる方はほとんどいなそうでした。それでもしっかり勉強され、研鑽をつまれて立派な漢詩をお書きになります。本当に頭が下がります。それに比べて自分は。。。

表彰式にプレゼンターとして参加されていた在新潟中国総領事館の崔総領事と立ち話をしたのですが、中国語が話せないのに何でこんな素晴らしい作品をみんな書けるのでしょうか?と感心しきりでした。

表彰式のあと、小春日和の中、中国式庭園で、「流觴曲水」(水の流れに盃を浮かべて自分のところに流れ来る前に詩の一句を詠む。今回は形式で盃は流れませんでしたが)を行い、ちょっと雅やかな気分になりました。

今回の大会に応募した作品は以下です。うららかな春の日、釣りをしたが、釣果を得ず。餌をさがしている野良猫は不満顔というような内容です。

 
 春日江村 

 風柔小鎮滿花香
 江水澄清收暖光
 遲日持竿魚不上
 野貓求餌怨空筐

漢詩仲間の交流は楽しいですが、青春時代の放蕩な日々を思い出させる大漢和辞典、諸橋徹次記念館、うれし恥ずかしの2日間でした。

日本酒文化を中国に広めている弊社のパートナー・華櫻貿易青島有限公司外口社長のブログはこちらからご覧ください!

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